ありの日記

人生の分岐点

2023年3月11日

毎年この日が近づくと、気持ちがざわつきます。

けれども、12年前の震災を経験しなければ、私は今、島根にいなかったと思います。

あの日、私はインフルエンザにかかった息子の看病で、東京の家にいました。

強い揺れが続いた後、息子はとても怖がり、眠れなくなりました。

余震が続くなか私が考えたのは、避難しなければならない事態になったとして、感染症では多数の人が集まる場所には行けないだろう。そしたら、一人でどうやってこの子を守ろう、ということでした。

同時に、今この時、大事な人を守ろうと必死になっている人々のことを思いました。

そして、文章を書くという私の仕事は、何の役にも立たないと、思い知りました。

以前から、私はものごとの表面をちょっとさらって、さも知っているように文章を書くことに違和感というか、恥じる気持ちがあったのですが、あの日を経て、さらに後ろめたさを感じるようになりました。

岩手県の取材

2012年、『語りつぎお話絵本 3月11日』(学研)の取材で、岩手県の田老町へうかがったとき、住宅の基礎だけが残った町や、水圧でへし曲がった堤防の手すりを見て、津波の様子を文章にする重みに怯みました。

取材させていただいた田畑ヨシさんは、子どもの頃の津波体験を紙芝居で子どもたちに伝えてこられた方で、私が今回のヨシさんの体験を伝えることは志を引き継ぐことになるのかもしれない、と考えましたが、それでもどこか後ろめたさは残りました。

その後も、復興の取り組みについて取材し、文章にする仕事をいくつかいただきましたが、被災していない私が書いていいんだろうかという不安がいつもありました。

それが、ユニセフを通して岩手県大槌町の小学生の取り組みを知った時は、文章にして残したい、という強い思いが湧きあがったのです。

この子たちや、この教育に関わる人たちを知ったのに書かないで流してしまったら、私はこの先に進めない!とも思いました。

とはいえ、みなさんの思いを書くのはやはり不安で、とらえ方が合っているか、迷いながら書き進めました。なんとか『ぼくらがつくった学校』(佼成出版社)を書き上げた後、取材させていただいた方々が喜んでくださったことに、どれだけほっとしたか。

大槌に赴任された先生が「この学校のデザインに子どもたちが関わっていたとは知らなかった」と話していると聞き、なんらかの形で残すことは大事なんだと思いました。

また震災から10年が経ったとき、『ぼくらがつくった学校』を読んだ子の感想文が全国の感想文コンクールで受賞したという知らせがありました。それを本の主人公の佐々木陽音さんに伝えたところ、とても喜んでくださり、ここでようやく、私は本にしてよかったのだと思うことができました。

文章に表すことはいい結果ばかりではなく、誰かを傷つける恐れもあるので、この先も不安を持ちながら書くことに変わりはありませんが、残したほうがいいこともあると知ったからには、これからも真摯に取り組んでいこうと思っています。

子どもに関わる場所へ

『ぼくらがつくった学校』の取材中、NPOカタリバが大槌で子どもたちの学びを支える活動をしていることを知りました。

本の中では主題からはずれるため、カタリバの活動は取り上げませんでしたが、私の記憶には残り、その後のカタリバの活動もちらちら気にしていました。

それは、震災直後に感じた無力感が、私の中に残っていたからだと思います。

私は子どもを応援する物語を書きたいと言っているけど、絵空事しか書いていないのかも、と思うようになっていたのです。

数年後、NPOカタリバの求人募集を知り応募したところ、縁あって東京のユースセンター「b-lab」のスタッフとして働くようになりました。

そこから、もう一歩踏み込んで子どもと関わりたいと思うようになり、不登校支援を行う「雲南市教育支援センターおんせんキャンパス」へ異動させてもらいました。

不登校支援をしていると、大人の社会の問題が子どもに表れていると感じます。

それを一気に解決する魔法の杖はなくて、だからこそ、皆で知恵を絞って取り組んでいくことが大事なんだと思います。

私にできることは何もないかもしれませんが、それでも遠くから眺めるだけだった時より、関われる今をありがたく思っています。

誤解なきように申し上げると、作家はみな現場を踏まえるべきだというような偉そうなことを言いたいわけではありません。

私は子どもに関わる仕事がしたかっただけで、そのきっかけになったのが東日本大震災でした。

毎年この日になると、いろいろな思いが浮かびますが、これからを生きる子どもたちを私の心の中心に据えて、ものごとを考えていきたいと思っています。


雲南市の応援事業

2023年3月2日

私も制作に関わらせていただいた、雲南市の高校を卒業される皆さんに向けた冊子「new generation」1号が配布されました!

(発行:雲南市政策企画部うんなん暮らし推進部、発行所:一般社団法人ine)

雲南市の高校生にとったアンケートによると、「雲南市が好き」「今後も雲南市に関わり、貢献したい」という回答率が非常に高く出たそうです。

けれども、その思いにあまり応えられていないのではないか……。

と考えた雲南市が、高校を卒業した後も市民の挑戦を応援する市政情報や、雲南市で挑戦している先輩たちの情報を届けるなどして、「つながり」を持ち続ける事業をスタート。

その接点の一つとして、冊子「new generation」が企画されました。

雲南市は、高校卒業後の進路でこの地を離れる選択をする人が多いそうです。

自分の可能性を広げ、この地域にはないことを学び、経験するのは素晴らしいことです。

一方で、地元のことって意外と知らなかったりするんですよね。

そこで、「new generation」では、雲南市で挑戦する大人と、ちょっと先輩たちの今の思いを伝えています。

今回、私は雲南市でキャンプフェスを立ち上げた方と、全国的に大ヒットとなった調味料の開発者のインタビュー記事を書かせていただきました。

この地域を大事に思う人たちが、つながっていく。

そのきっかけ作りができたら、うれしいです。

非営利型一般社団法人ine


高校生が選ぶ掛川文学賞

2023年1月22日

静岡県掛川市へ行ってきました!

「高校生が選ぶ掛川文学賞」の授賞式と、高校生と作家の読書シンポジウムに参加するために。

受賞されたのは、村上雅郁さんの『りぼんちゃん』(フレーベル館)。

心理的虐待がテーマになったハードな内容ですが、希望ある物語です。

『りぼんちゃん』も、拙著『サード・プレイス』もジャンルは児童書になりますが、ノミネートされた5冊には著名な一般小説もありまして、私も担当編集者も(著名な小説が選ばれるだろう)と予想していました。

ですが、高校生の選考委員は自分の感じたところで推し、意見が割れた後は「友達にすすめるなら」という観点で話し合い、『りぼんちゃん』を選んだということでした。

多数決ではなく、全員の合意で、というのがすごいです!!

選考委員の感想文集をいただいたのですが、鋭く率直な感想に「痛いとこつかれたー」と感じつつ、その読む力に感動しました。

(色紙もいただいたのですが、そちらは気を遣ってくださった感じのコメントでした笑 もちろん、うれしかったですよ)

そして、交流イベントでは、村上さんの「これからを生きる子どもに届けるものを書く責任」という言葉に深く共感し、高校生の質問や今好きなことに関する言葉にも心惹かれました。

みなさん、キラッキラッしていたなあ。

後で、私も高校生の皆さんとお話する機会をいただけて、とてもうれしかったです。

高校生が選ぶ文学賞、今後も長く続いてほしいです。

もう一つ嬉しかったのは、素敵な本屋さんにうかがえたこと。

村上さんと一緒にうかがった高久書店さんには、屋根裏部屋があって、子どもたちが自由に使えるようになっています。

子どものなかには、店長の高木さんに「今日、友だちとこんなことがあって」と相談する子もいるそうで、「まさに子どもの居場所、サード・プレイスですね」と話したりしました。

こんな本屋さんがどの町にもあればいいのになあ。

とにかく、すてきな出会いばかりで、村上さん、担当編集者さんと「ありがたいですねー」と話しました。

掛川のみなさん、本当にありがとうございました!


新年を迎えて

2023年1月3日

昨年はたくさんの出会いと経験をいただくことができました。

知ったかぶりして子どものことを書きたくない、と思って飛び込んだ不登校支援でしたが、予想していた以上に学ぶことが多かったです。

相手を知るには、自分も知らないといけない。

わたしはなにを大事にして、どういうことに喜び、悲しみ、怒るのかを知ることで、相手に対しての感情も整理できる。

自分を知り、相手との違いを知ることで、他者を尊重できるということを学びました。

人はいろいろなことに影響を受けて変化していく生き物ですから、自分も相手への意識も常に更新し続けていけるよう、柔軟な気持ちを持ちたいです。

嬉しかったのは、同じ志のある人たちと協働すること。

「その子にとっていいことはなんなのか」を模索し続ける仲間たちとの仕事は温かみがあり、体力的にしんどい時はあっても、心はいつもやわらかいもので満たされていました。

「ここにいるメンバーは少しずつ違う思いも抱えているけど、大きな矢印は一緒なんだと思います。ありさんも大きな矢印に共感してここに来てくれたのだと思うから、ありさんの言葉で発信していってほしいです」

おんせんキャンパスのリーダーの言葉は、わたしの宝物になりました。

世の中に溢れる本と情報を見るたび、わたしの書くものを求めている人はいるのかな……と、不安になりますが、必要としてくれる人はきっといる。そう信じようと思っています。

今年も人に関わり、心を寄せること、それを文章に表すことを全力でやっていきたいです。

どうぞよろしくお願いいたします!


おんせんキャンパスの通学合宿が終わりました

2022年10月30日

おんせんキャンパス、今年度の通学合宿(年4回/2回:1泊2日、2回:2泊3日実施)が終了しました。

通学合宿は通常の活動(学習、スポーツ、体験活動)を行いつつ、おんせんキャンパスに宿泊したり、おんせんキャンパスから学校の別室に登校したりする子もいる、というものです。

集団活動に不安を抱える子たち(※理由は様々あります)の個別対応や家庭訪問、学校訪問、学校との支援会議なども同時に行うので、スタッフの業務は倍増してヘロヘロになりますが、それでも通学合宿を行う意義を感じています。

それは、子どもたちが少し自信を持てるようになるから。

こういうと、お前の自己満足じゃないかと言われそうですが、子どもたちの言葉や行動に変化が出てくるので、伝わってくるのです。

そもそも通学合宿は自由参加なので、安心感を持っていない子は合宿に参加したいとは言いません。

学校に行きづらくなる理由は一人ひとり異なり、なにに困り、不安を感じているかも異なります。

ただ、ここだけははっきりしておきたいのですが、不登校が問題なのではなく、不登校になると、子どもも保護者も社会から孤立してしまう傾向にある、ということが問題なのです。

(不登校の子どもが増えているのは、今の学校のしくみが子どもたちに安心を与えるものになっていない、また社会の「不登校=問題行動」といったとらえ方が、より一層子どもたちを苦しめているともいえるかもしれませんが、ここでは取り上げません)

私がいる現場には「積極的な不登校選択」をした子はいなくて、他の子のように学校で活動できない自分を責めたり、卑下したりしている子が多いです。

たとえ表面上は明るかったり、反抗的だったり、怠けているように見えたとしても、本音は親にも迷惑をかけていて情けない、という思いを持っていたりして……。

いうまでもありませんが、「自信」は、とても大事です。

他者と関わるにはパワーがいるので、自分の土台が不安定な状態では踏み出すことができないでしょう。

おんせんキャンパスでは、まずはスタッフと一対一のコミュニケーションと活動を積み重ね、「ここでは何を言っても大丈夫。拒否されない、受け止めてもらえる」と思ってもらえるよう努めています。

そして、様子を見ながら、少しずつ他のスタッフや子どもたちとの交流へと広げていきます。

ただ、子どもの状態は日々波打つように変わるので、右肩上がりにはいきません。

とにかく、気長に働きかけ、積み重ねることで、その子のつらい状況が少しでも変わるようにとの思いでやっています。

おんせんキャンパスのリーダー池田さんに教えてもらったのは、

「学校に行きづらくなる子は、エネルギーが0の状態。まずは安心できる場でエネルギーを蓄えていくことが大事」ということ。

おんせんキャンパスに限らず、すべての子に安心してエネルギーを蓄えられる居場所があるよう、願っています。

おんせんキャンパスのホームページはこちら


すごいよ、おんせんキャンパス!

2022年6月6日

おんせんキャンパスに異動して、2ヶ月が経ちました。

濃密な日々だったので、まだ2ヶ月!というのが正直な気持ちですが、ビギナーとしての私が感じたことを少しまとめたいと思います。

ざっくり言うと、おんせんキャンパスは、すごい!!

私は児童文学を書いていて、時々、誰に向けて書いているのか、わからなくなることがありました。

児童書の読者は、もちろん子どもが中心です。

ですが、本を買うのは大人が多く、評価するのも大人の方々。

本は文化ですが、商品でもあるので出版社としては売れなければ困る、という事情があります。

(※児童文庫は子どもがお小遣いで買ったりしますので、子どもが心から支持するジャンルだと思います)

でも、私は子どもの心に届くようなものが書きたくて、自分の信じるところで書こう、その結果、評価されなくても仕方ない!と思ったり、ここでは求められている通りにしようと割り切ったり、という繰り返し。

まだまだ覚悟が足りないのだと思います。

一方、おんせんキャンパスのスタッフは、「子どもの気持ちを一番に」という姿勢を貫きます。

サラッと書きましたが、「子どもの気持ちを一番に」するのは、簡単ではありません。

子どものうちは自分の気持ちを言語化するのがむずかしいですし、保護者や先生方の思いもあります。

その子にとってより良い選択をするには、保護者や先生の理解と応援があった方がよくて、そのために、おんせんキャンパスのスタッフは学校の先生方や保護者と話します。

ただ、中にはそれぞれが良かれと思っていることが、子どもの思いとはズレているということもあるわけです。

そんなとき、おんせんキャンパスのスタッフは丁寧な対話を重ねて、関係する大人たちの思いを汲みとっていきます。

その積み重ねの中で、それぞれが自分を見つめ直し、子どもとの関係で気づくことがあったりして、結果、子どもの気持ちを一番にする方向へ動いていく、、という。

心のかけかたと労力がハンパない!

さらに、すごいなと思うのは、子どもを一番にするための働きかけを縦横無尽にやっていることです。

社会には子どもに関わる機関がたくさんあります。

けれども、それぞれに権限の制約などがあってできないことも多々あります。

おんせんキャンパスは雲南市教育委員会と認定NPOカタリバとの協働運営なのですが、スタッフは子どもと家族をサポートするのに必要なことがあると、いろいろな制約を外すための働きかけを関係機関にして、縦横無尽に動ける体制をつくってきました。

これはNPOだけでも、行政だけでもできないことだと思います。

こうした働きかけをしてきた人たちがおんせんキャンパスのメンバーで、同僚ながら、ほんとすごいなあと尊敬するばかりです。

学ぶことが多すぎて、あたふたの日々ですが、今ここで働けることに心から感謝しています。

※写真は、毎週金曜日におんせんキャンパスにやってくる移動パン屋さんに群がるスタッフの図

(本文とはほぼ関係ありせん)


島根に移住しました!

2022年5月1日

わたし、ささきありは認定NPOカタリバの非常勤職員として、東京文京区のユースセンターb-labに勤務しておりましたが、4月1日に島根県雲南市教育支援センターおんせんキャンパスに異動しました。

おんせんキャンパスは、学校での生活に不安や戸惑いを感じて、学校に通うことが難しくなっている子と、その家族のサポートをする機関です。

わたしは児童文学を書く時、この物語を読んだ子がこれは自分のことだ! こんなことで悩んでいるのは自分だけじゃないんだ、と思ってもらえたら、という気持ちで書いています。

なので、登場人物が自分を肯定して、自分なりの生き方みたいなものを見つけていくような展開を意識しています。

自分を投影して読んだ子がほっとしたり、もうちょっと頑張ってみようかな、という気持ちになってもらえたら、、と願っているからです。

ユースセンターで子どもと接する時も、抱いていた気持ちは同じでした。

なかでも、特に気になったのは生きづらそうにしている子で、もう少し密に関わりたいという気持ちがどんどん膨らんでいきました。

おんせんキャンパスでは、生きづらそうにしている子一人ひとりの気持ちを丁寧にすくいあげて、その子に合った学び方や社会とのつながり方を子どもとご家族、学校の先生方と一緒に考えてプログラムを組んでいます。

おんせんキャンパスのスタッフが言うには、

「不登校なんて、特別なことじゃないですから」

ほんとそうだなあーと思うのです。

いろいろな価値観や感情を持った人が集まる場所で、

子どもたちは毎日、揉まれながら頑張っていますから、

心や体が疲れて身動きがとれなくなることもあるでしょうし、

「平均を目指す」枠組みにはまらない子だっていて当然。

とはいえ、人と関わらずに生きていくことはできないですから、

自分なりの社会とのつながり方を見つけられるといいんだろうな、と思います。

そんな「自分なりの何か」を見つけるお手伝いができたら、、、まずはおんせんキャンパスにいる間は安心して、ここでの活動を楽しんでもらえたら、という思いで、働いています。

先日、子どもたちと調理実習で「お花見弁当」を作りました。

一人ひとりが春の野菜を入れたメニューを考えて、作ったものを盛り付けて、校庭の枝垂れ桜のそばで食べたんですよ。

食後は、子どもとスタッフみんなで全力の鬼ごっこ。

美味しくて、楽しい時間でした!

これからも、たまに近況報告しますので、よろしくお願いしまーす。


今年もお世話になりました

2021年12月30日

今年はいろいろしんどい一年でした。

自分の足りなさを痛感すると同時に、人の優しさが身に沁みました。

もうダメかも、という時に、声をかけてくださったり、手を差し伸べてくださったりした方のおかげで、なんとか自分を立て直すことができました。

このご恩は、次にくじけそうな人の力になることで返していきたいと思います。

まずはこの一年の御礼を。

本当にありがとうございました。

みなさんにとって、来年もいい年になるよう祈っています。

作家の友人・長井理佳さんからいただいたブローチ。見ていると、ほっとします。


Remember me

2021年5月4日

くるりの『Remember me』が心に沁みてしょうがない。

(NHK「ファミリーヒストリー」のエンディング曲)

子育て終盤のせいか、母が他界した年齢に近づいているせいか。たぶん、その両方だな。

先日、息子が「自分のような(こだわりの強い)子どもを育てると思うと、大変」と言うので、へ? そんなこと思ってたんだと、驚いた。

息子は小さい頃から私に比べてはるかに人に対して優しく、理解度が高かったから、そういう意味では子育てが大変だと思ったことはなかった。

でも、自分と違う分、息子の思いをしっかり理解し、息子の気持ちに沿うことを示すにはどうしたらいいのか、という点では悩んだ。

私のデフォルトの性格は、偏った自立心を持ち、そのくせ、さみしがりやで、権力が嫌いで、陰口をたたく人がいたら、正々堂々言ってきやがれ、“タイマン”でケリをつけたる!というヤンキー資質をこじらせためんどくささがある。

当然というべきか、なにかトラブルがあれば、真っ先に「出るとこ出て、白黒つけようか!」的なオラオラ解決法を思いつく(自制してます)。

が、息子は私のような解決策を良しとしなかった。

自分のプライドと、相手への思いやりの狭間で迷うようだった。

先の息子の言葉に対して、「子どもと親の人格は違うからね。自分にとって良いことが、子どもにとってはそうでないことが多いからね。お母さんは、子育てにはたくさん後悔があるよ」と言うと、

「自分の子育てに後悔はない!って言い切る親のほうが怖いよ」との返事。

なんか、その言葉に救われた。

と同時に、大人になったなあ。もう教えることはないな、と感じた。

どうか息子が自分を生かせる道に進めますように。よりよい人生を開拓し続けていけますように。

母としてはもう願うことぐらいしかできない。


今この時だけの音楽

2021年3月28日

『青春サプリ。自分がここにいる理由』(ポプラ社)の取材をさせていただいた法政二中・高等学校 合唱部の定期演奏会にうかがいました。

この年の集大成であり、高校3年生にとっては合唱部で行う最後の演奏になります。

(もちろん、客席の前のほうは使わず、並んで座らず、部員は全員マスクをつけての合唱と徹底した感染予防策をとっての上です。学校の努力たるや(T^T))

コロナ禍によりこの1年の活動は制限されましたが、いろいろな試みを行い、「中高生たちのもつ可能性は無限であることを実感させられました」という顧問の先生の言葉に、深く感じるものがありました。

今回のテーマは「再生」。

第一ステージ「震災から10年〜復興に寄せて」に始まり、第五ステージ「卒業ステージ」の「リフレイン」は卒業したOB,OGもステージ上で一緒に歌うという演出で、季節の繰り返しの中でも変化と成長があるということを感じました。

プロの合唱団は技術力がすばらしいですが、私は中学、高校の合唱に強く惹かれます。

きっと「今この時だけのメンバーでしかできない音楽をつくるんだ!」という気持ちが伝わってくるからだろうと思うのです。

今回の演奏は午後2〜5時近くまでの長丁場でしたが、部員のみなさん集中力を切らすことなく、一つ一つの言葉に気持ちを乗せているように感じられました。

最近、自分の書いているものがつまらなく思え、一方で世の中にはすばらしい作品があふれているので、私ががんばって書く必要なんかないんじゃないかと思っていましたが、思い直しました。

とにかく目の前の仕事を全力でやろう!

落ちこむ暇があったら、手を動かせ!ってね。

思いがけず、満開の桜も見ることができ、決意を新たにしました。

またここからがんばるぞ!


時を経て伝わるもの

2021年2月6日

第66回青少年読書感想文全国コンクールにて、

拙著『ぼくらがつくった学校 大槌の子どもたちが夢見た復興のシンボル』(佼成出版社)を読んでくださった、菊地慶晃さんの感想文が「全国学校図書館協議会長賞」を受賞されたそうです。

感想文を読ませていただいたのですが、震災で学校や日常を失ったことと、コロナ禍での自身の体験を重ねていて、胸を打たれました。

本書の主人公である陽音さんに伝えたところ、とても喜んでくださり、

「菊地さんの思考や気持ちに貢献できたと思うと、誇らしいです」

とおっしゃっていました。

わたしはそんな風に受け止められる陽音さんを尊敬しています。

執筆中は、陽音さんたちの気持ちを知っているかのように書くのがおこがましく思えて、私が書いていいのだろうかと自問と不安の日々でしたが、かたちにできてよかったと、今になって思います。

震災から10年。

長い時を経て伝わっていくものを作っているのだと、身が引き締まる思いにもなりました。

菊地さん、すばらしい感想文を書いてくださり、ありがとうございました。

ご受賞おめでとうございます!

写真は佼成出版社のSNSから拝借しました。


ラップ

2021年1月8日

(ラップ調でお読みください)

昨日はケーキ。

うちは不景気。

財布の中身は大打撃 ーyo!

……ああ嘆き


本年もよろしくお願いします

2021年1月4日

文筆業は年中無休なのでお正月中も仕事をしてました。

というより、毎日書かないと精神的に落ち着かないので、書けることがありがたいです。

中高生の施設は今日が仕事はじめ。

今年もリアルな場と、本を通しての両方で、子どもたちの成長に寄り添う仕事をしていきます。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

下の写真は、昨年最後の取材先でいただいた、メダカの透明標本が入ったボールペン。美しい!

いいお話をたくさんうかがわせていただいたので、その思いを多数の人に届くよう、彩り豊かに表したいです。


本を世に送り出す仕事

2020年11月11日

むかしから、人の仕事の話を聞くのが好きです。

どうしてその職業を選んだのか。どんなきっかけがあったのか。仕事のおもしろさ、やりがい、むずかしいところはどこか。

話を聞くと、その人の生き様や大事にしていることを感じることができるんですよね。

お仕事小説やドラマも好きで、最近は韓流ドラマの『ロマンスは別冊付録』にハマりました。

出版社を舞台に本をつくる仕事を通して恋愛や、それよりもっと深い愛のかたち、それぞれの人生を描くドラマです。

出版業界の厳しさが実にリアルで、韓国と日本はほぼ同じなんだとわかりました。出版部数とか返本や絶版した本の細断シーンとか、売れない作家の話とか、わあああ……。

売れる本を出版しなければ、会社は成り立たない。作家も食べていけない。そのうえ作家には売れないレッテルがつき、次の本を出すこともできなくなる。

詩人のエピソードは、身につまされて痛かったです。

売れないとわかっていても書かずには生きられない。詩が心の扉をたたくからーー。

そう、作家は書かずにはいられない人なんですよね。

私は新卒で出版社に入社し、退社後フリーランスの編集記者になって、それから児童文学の創作コンクールに応募して作家になったので、ドラマに登場する出版社の人たちにも作家にもどっぷり感情移入してしまいました。

そして、だれかの人生を豊かにする本を送り出す、という作り手が本にこめる思いに泣きました。

売れる本をつくるのは、売れないとわかっていても世に送る意義のある本をつくるためでもある、というセリフにじーん。

本と人生を重ねた、とてもいいドラマでした。

おかげであらためて決意することができました。

どこまでも人に寄り添う物語を書いていこう、と。

本を世に送り出す仕事を選んだ人たちと一緒に仕事ができる幸せも噛みしめています。


生き残り戦略

2020年9月10日

セミが元気に鳴いています。

とはいえ、盛りの頃より数は少ないし、夜は鳴かなくなりました。

セミは夏に成虫になるという点では一致していますが、それぞれ少しずつタイミングをずらしているんですね。

それはきっと、種としての生存戦略なのでしょう。

みんなが一斉に成虫になってすぐのタイミングで嵐が来たりしたら、子孫を残せない、ってことになりかねませんものね。

もちろん、個々のセミはそんなこと意識していないでしょうけど。

ふと、人間もそうなのかもしれない、と思いました。

成長の早さが個々で異なるのは、種全体としての生存戦略なのかもしれないなあ、と。

現代社会では早熟な子のほうがチャンスをつかみやすいので、親としてはせかされるような気持ちになってしまいがちですが、人類としては社会で活躍する以前に、種として生き残ることを第一に進化してきたのでは?

生命が目的とするところと、人間社会の目的は乖離してきていたりして……。

セミの声を聞きながら、そんなことを考えています。


カタリバオンライン

2020年8月12日

ささきかつお&ありの二人で、小中学生向けに「物語をつくろう!」というワークショップの1回目をやらせていただきました。

プラットフォームは、カタリバオンラインの夏休みスペシャルプログラムです。

オンラインでうまくできるかな、と少々緊張して臨んだのですが、元気な子どもたちのおかげで、とても楽しい時間になりました。

みんな、どんどん想像をふくらませて、驚くような展開をくり広げていくのです。

それをたがいにおもしろがるうちに、終わりの時間となっていました。

ほんと、子どもの発想って、すごい!!

また、みんなに会えるのが待ち遠しいです。


表現力

2020年8月10日

若い人の多い職場に勤めるようになって、世の中の変化を肌身で感じています。

ネットやPC環境が整い、「こんなのあるかな?」と検索するだけで、便利なアプリが無料で使え、様々な制作物を短時間で作れるようになりました。

かつては、それぞれのプロフェッショナルがチームを組んでやっていたことを、一人でできるようになっています。

いつのまにか、個々が自分好みのものを、高い完成度で表現できる時代になっていたのです。

そんな時代で、わたしはなにを表現するのだろう。

なにを表現したいのだろう。

ぐるぐると考えています。


小松菜忌

2020年7月30日

今日は小松菜忌。

佐々木制作所の永久名誉会鳥ハピさんの命日です。

あれから5年かあ……。

先日、息子に「ハピさんのこと、思いだすことある?」と聞くと、「しょっちゅう、思いだす」と言っていました。

わたしと夫の会話にも、しばしば、ハピさんネタが出てきます。思い出話は更新されないのがさみしいですが、それでも、楽しいひとときです。

外出時にどこかの家からインコのさえずりが聞こえてくると、きっとハピさんもすでに生まれ変わって、楽しく暮らしているんだろうな、と思います。

そう想像するのも、小さな楽しみです。

ハピさん、知っていると思うけど、みんな今も、きみのことが大好きだよ。

また、会いたいな。


きみの物語

2020年7月17日

『天地ダイアリー』(フレーベル館)について、最高にうれしい言葉をいただきました。

小学6年生の男の子のお母さんのツイートで、

模試を受けた子が、問題に出た『天地ダイアリー』を買ってと。主人公が自分に似ている、と言ったというのです。

もう、うれしくて、うれしくて、涙が出ました。

執筆中に思っていたのは、読んだ人のうちたった一人でも「これは自分の物語だ」と思うようなものを書きたい、ということでした。

ですが、発刊された当初はほとんど注目されず、書店でもあまり売れず、実際に子どもが読んでいる気配も感じられませんでした。

わたしが書く物語は、いまの子には求められていないのかな。

このぐらいの年ごろの子たちの気持ちを表せていないのかも。

結局、ひとりよがりだったのかなあ……。

と、がっくり。

それが今年に入って、いくつかの私立中学校の入試問題に使われたあたりから、風向きが変わってきました。

そして、上記のツイート。

届いた! 自分の物語だと感じてくれた子がいた!

まだ書いていていいんだよと、言われたような気がしました。

ありがとう、本当にありがとうございます。

これからも、これは自分の物語だ!と思ってもらえるようなものを書いていきたいです。

挿画/高杉千明 装丁/城所潤(ジュン・キドコロ・デザイン)


マイ・インターン

2020年6月25日

老化を痛感するできごとがありました。

確定申告の不備があったのです。

いえ、不備はいいんです。なによりショックだったのは、私は間違えるはずはないから、税務署の処理にミスがあったのだと思いこんでいたことです。

フリーランスとして確定申告をするようになって20年以上。その間、こんなミスをしたことはないという自信が、相手への批判的な見方になっていたのです。

自分の間違いに気づかず、相手を責めるような人を見ては、なんて視野が狭いんだと冷めた目をしていた過去の自分が恥ずかしい。

高齢になると、こうなりがち……と思っていましたが、どこかで自分はちがうと思っていたのです。

偏った自信による上から目線ーー。

だけでなく、これが老化というものなんだな……と痛感しました。頭が凝り固まっていて、自分を更新できなくなっているのでしょう。

そう落ち込んでいた時にNetflixで観たのが、『マイ・インターン』

急成長したベンチャー企業にシニアインターンとして採用された男性が、若い人たちのサポートをしていくというストーリーの映画です。

シニアはITを駆使した働き方にはなかなかついていけないけど、そこは素直に若い人に教えてもらい、けれども若い人が経験していない苦難を乗り越えるのに、そっと寄り添うという展開。

この映画を見て、私も切り替え時に差しかかっているんだな、ということに気づきました。

私はこれまで、どちらかというとベンチャー企業のトップのような働き方をしてきましたが、これからは、ロバート・デ・ニーロが演じるような人になれるよう、意識を切り替えるタイミングなんだな、と。

昨年から勤め始めたNPO法人はまさに前向きな若い人たちが集う職場で、そして、ロバート・デ・ニーロのような人柄の同世代もいます。

若い人も同世代も尊敬する人ばかり。

こうなりたいと憧れる人がまわりにいることは、とても幸せです。

しなやかに、変化していきたいなあ。

志村けんの「だいじょうぶだぁ」が胸にしみました。


受け止め力

2020年6月10日

イレギュラーな中、いろいろな調整をしていますが、広い意味で学びが多いです。

一番感じたのは、一人一人が異なる「正義」を持っているんだよね、ってことです。

正義、プライド、不安、焦り、怒り、批判、実は不安を転化した後づけ理論など、日々気持ちが揺れ動く中で、いろいろな思いが万華鏡のように現れてくる。

人間の心理っておもしろい。

人は一面だけじゃないから、イレギュラーになるとより多面性が見えてきますね。

表面に現れたものを見るだけでなく、裏にある心理に寄り添うようにしないと、人と人をつないでいくことはできないんじゃないかな、と思います。

けれども、社会の中の組織の姿勢というものもあるわけで、個人の気持ちをすくいあげつつ、組織を安全に動かすというのは、ほんと容易じゃなく……。

刻々と状況も、人の気持ちも変化していきますし、立っている場所で見える景色も違いますしね。

とにかく、まずは一人一人の思いを「受け止める」。それからなのでしょうね。

非常事態も第2章に入った感があります。

太く、どっしり、構えていきましょう。


炙りだし

2020年5月6日

非常事態になり、イレギュラーなことをいろいろとやってきましたが、未だ慣れないのはZOOMのミーティングです。

ZOOMを使いはじめの頃、あまりにも疲れるので、なんか対策はないのかと検索をかけてみましたが、その頃は見当たらなくて。

最近になって「ZOOM疲れ」という言葉がヒットするようになりました。

やっぱり、同じような人はいたんだ。

ちょっと、ほっとしました。

オンラインで次々に新しい試みがなされ、世の中が変化しているのを肌身で感じています。

一方で、その流れに乗っていけるだろうか、と不安も膨らんできました。

SNSを見れば、人の心をがっと掴む言葉を発信している人が大勢いらして、そんな中で私はなんら発信したい言葉を持ってないことに気づいて。

そこから、こうも世の中についていけない私の書いたものが、世の中に受けいれられるのだろうか……と思ったりして、気持ちがだだ下がってます。

この事態で、苦手とするものが炙りだされたようです。

毎日、前向き! というわけにはいかないなあ。

今日はそういう日ということで、自分をいたわってあげよう。

みなさんも意識的にも、無意識にも毎日がんばっているはずですから、自分をいたわってあげてくださいね。


2020年2月8日

問題にこめた思い?

『天地ダイアリー』が、中学入試の問題になったとのお知らせをいただきました。

問題を読ませていただき、「ここを読み取ってほしい」というところには、問題を作られた先生の思いや、この学校はこういう精神を大事にしていますよ、というメッセージが込められているように感じました。

きっと、この学校は、生徒一人一人の個性を大事に伸ばしてあげたいという思いを持っていらっしゃるのだろうなあ……と。

問題を作られた先生とお話させていただきたいなあ、きっと、すてきな先生なんだろうなあと、思いました。

問題に使っていただき、光栄です。

受験生のみなさんの努力が花開きますように、祈っております。


2019年12月15日

不義理

今年は本業の文筆業のほかに、非常勤の仕事に挑戦。ボランティア活動では委員長という名のつく役職を2つ、平の委員を1つ、やらせていただきました。

いずれもやった分だけ刺激をもらえ、心の泉に栄養を蓄えられていると感じますが、一方で時間と精神力、体力の消費が……。年齢のせいかな。

そんな中でずうっと気になっているのは、ご恵贈いただいた本のこと。

感想をアップすることで、ささやかな応援をしたい!

と思っていますが、なかなか読めず、申し訳なさばかりが膨らんでいます。

不義理を、どうかお許しください。

しばらく日記は更新できそうにありません。

みなさま、どうぞ体を大事にしてお過ごしくださいね。


2019年11月6日

b-labブログ連載

わたしは週に2日ほど、中高生向けの施設b-labで働いています。

児童書を書くにあたって「いま」の子どもたちを知り、直接関わりたいという思いがあるからです。

振り返ってみると、わたしは小学校高学年〜高校前半の頃、自分の気持ちをうまく制御できず、自分自身に振りまわされていたように思います。

あの頃、自分の気持ちを言葉にして、人に伝えることができたら、あんな苦しい思いをしなくてすんだのかもしれない……。

なので、わたしの本を読んだ読者には(そうそう、こういう気持ち)と、安心して自分を肯定してもらいたいと思っています。

そして、b-labで働くようになってからより一層、気持ちを言葉にする大切さを感じるようになりました。

混沌とした勢いで自暴自棄になる前に、支離滅裂なままでいいから、だれかに気持ちを話すことで、自分の気持ちをつかみとってほしい。

そこで、b-labを利用する中高生に向けて、「スタッフ体験談」を連載することにしました。

子どもたちが大人の失敗談を聞く機会って、そうないんですよね。

でも、正論ばかりを言う大人も実はいろいろぶつかり、悩んできた、とわかると、子どもたちも気持ちを打ち明けやすくなりますから、そのきっかけづくりとして、ブログを活用しようと思ったんです。

大人が読んでも共感できる内容ですので、読んでいただけましたら幸いです。


2019年10月30日

銀座のギャラリー巡り

知り合いの画家さんの展覧会を見るため、銀座へ行ってきました。

まずは、白濱雅也さんが出展されている、

「辿り着くことのない庭に橋を架ける」展(2019/10月22日〜11月3日)へ。

展示会場の「Gallery Nayuta」は、知る人ぞ知る、奥野ビルにあります。

1932年築の本館と、1934年築の新館が左右対称に並ぶビルで、かつては銀座界隈で屈指の高級アパートだったとか。

いまは、ワンルームのギャラリーやアンティークショップ、帽子屋など、個性的な店が入っています。

このビルで有名なのは、銀座最古の手動式エレベーター。

外の扉と中のジャバラ式扉を、まさに手で開け閉めするのです。

エレベーターがいる階は、扉上にあるメーターのような針が動いて教えてくれます。

実際に乗ってみて、ドキドキハラハラ。

「ビー」という警報音に肝を冷やしましたが、おもしろかったです。

「Gallery Nayuta」は、こぢんまりとした白い部屋。

壁に小品が展示されているだけという、そのシンプルさが魅力的でした。

続いて、すぐ近くの「Mireya Gallery」へ。

まつもと俊介さんが「ベストアーティスト展14」(2019/10月30日〜11月4日)に出品されているというので、楽しみにしていました。

なんたって『キンダーブック2』2019年12月号のおはなし「てぶくろ」の立体作品が見られるというんですもの!

「てぶくろ」 文/ささきあり  立体/まつもと俊介

実際、作品を前にして、その緻密な作りに目を見張りました。

顔の表情から毛の質感、洋服のデザインまで、いくらでも見ていたくなる精巧さ。

本当にそこにいるみたいで、わくわくしました。

すばらしいアーティストと一緒に仕事ができるって幸せだなあと、あらためて思いましたよ。

拝見できて、ほんとよかったです!


2019年10月6日

よく遊び、よく学べ

大学時代、ゼミの教授がよく言っていた言葉。

それが「よく遊び、よく学べ」だった。

研究するにしても人と違う視点を持たないと、先人の研究の後追いになってしまいがちだから、発想を広げるためにも「遊ぶ」って大事なんだと思う。

創作も然り……とわかってはいるのだけど、わたしは遊ぶのが下手だ。

ONとOFFの切り替えも下手で、いつもだらだらと仕事をしている状況になる。

教授は交友関係も広く、よく遊んでいるように見えたが、研究は広く深く、執筆活動も盛んだった。

このことを思い出したのは、自分の仕事の仕方を考える時期になっているからだろう。

子育てのピークが過ぎて、ようやく自分の時間が持てるようになったけれど、一人暮らしの親の介護が迫ってきていて、再び生活設計を立て直す時期にさしかかっている。

目先の生活費をかせぐための執筆も必要だけど、その先も長く執筆を続けるためには、多くの人に注目されるような作品を創ることが大事だ。

さて、なにを選ぶか。

優先順位を考えて、よく遊び、よく学んでいきたいな。


2019年9月25日

自分の感覚を信じる

私は本業の作家仕事のほかに、週2日ほど、中高生が利用する施設で働いています。

そこで最近、中高生がつくるフリーペーパーのサポートをすることになりまして、企画を考える時にこう言いました。

「自分が『好き』と思うことは、同じように『好き』と思う人がいるはずだから、自分の感覚を信じて貫けばいい」

そうエラそうに語ってから、ハッとしました。

私は自分の感覚を信じていなかったかも……。

時間がある時は、話題となった本やアニメ、マンガを読んでは、今はどういうものが求められるのかを考えるのですが、ここ1年ぐらい、それに引っ張られすぎていたかもしれない、と思ったのです。

だいたい、求められているものがわかった時点から作り始めても遅いんですよね。できあがった頃には、ちがうものが求められていますから。

わかっていたはずなのに、なんで外ばかり向いていたんだろう。

きっと自分の書くものに自信が持てないせいだな。

そうして自信がないくせに、売れっ子作家になりたいという願望があるせいだよねー(苦笑)。

他の人には「自分の力を信じろ」的なことを言っているくせに、肝心の自分が信じてないんだから、しょうもない。

とりあえず、外に引っ張られていることが自覚できて、よかったです。

これも中高生と話せたおかげですね。

今日はこれから取材。

新たな出会いと、知らなかったことを教えていただける機会、本当にありがたいです。


2019年8月27日

つらい、苦しい気持ち

掃除機が、「ピピピピピ」と鳴って、止まる。

見れば、「掃除機を掃除してください」という表示。

毎回、たまったゴミを排出しているのに、なんで?

スイッチを入れ直して使っていると、また「ピピピピ」。

なんだろう、壊れたのかな?

調べてみると、パーツをはずして洗う必要があるとのこと。

そうだったんだ……。

わたしは、きみの苦しさに気づかず、「ゴミはたまってないよ。気のせいだよ。がんばれ」って押しつけてた。

ごめんね。

そう、つぶやいて、ふと思いました。

これは、人に通じるな、と。

本人が「もう、いっぱいいっぱいです」と心の中で叫んでいても、まわりは気づかない。

いや、気づいていても、ズレている。

「ほら、こうしたらどう? これでいいんじゃない?」

対処しているつもりで、実のところ、相手の苦しさ、つらさの解消には、まったくつながっていない。

むしろ、追い込んでいる危険さえある。

本人は、なにがつらいのか、どうつらいのか、

的確に言葉で表すことができなくて、それがまた苦しくなる。

つらさ、苦しさの原因を言葉で表せたら、追いつめられるほど苦しくならないのでは?

気持ちを言語化するって、本当に難しくて、でも、できたら、自分を助ける力になるのにな。

わたしは子どもの頃から、ずっとそう思ってきました。

だからこそ、児童書の作家になったのだと思います。

(そうそう、そういう気持ち。わたしだけじゃなかったんだ)

と、読む人に少しほっとしてもらいたいんです。

だから、できるだけ希望のある展開にしたいと思っていますが、人それぞれ求める展開は違うので、ホント難しい……。

とにかく、求めている人のところに、気持ちに合う本が届くよう、そんなしくみができたらいいなあと、切望しています。